世界スキマ散歩

世界のどこかで

景観と開発を考える ー”伝統”と”暮らし”の境目でー

ー古き良き街並みか、”暮らし”かー

 

ウズベキスタンに行ったときのことを思い出す。タシュケントサマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、と4都市を一週間で回る弾丸スケジュールだった。

ウズベキスタンは、中央アジアのほぼ中心部に位置する国だ。ユーラシア大陸を横断するシルクロードが貫き、イスラム文化を中心としながらも西洋と東洋の文化が交じり合う交易の中心地だった。また、かつてこの地を治めたティムールは領土を拡大させ、未だに彼を記念した像があるなど国家の英雄となっている。

中世イスラムの建築や街並みが残っている場所も多い。ウズベキスタンの観光資源の「コンテンツ」はそうしたイスラム建築やシルクロード関係のものがほとんどだ。

 

実際に降り立ってみると、市場ではスパイスの香りが漂い、モスクのミナレット(塔)からは礼拝の時間を知らせるアザーンの声が響き渡るなど、イメージしていた「ウズベキスタン」にいることを感じさせた。

 

だが、違和感を覚えたのはサマルカンドの街中を歩いていたときだ。

f:id:jimera:20201212134142j:plain

西洋風の石畳に街灯。歩きやすいし、整ってはいる。だが、なんというか、まるで「ディ〇ニーランドに来ているのか」とでも思わせるような街並みで、イスラム建築がハリボテのように思えてしまう。

もちろん、ディズ〇ーランドを否定する気は全くない。

しかし、ここは中央アジアウズベキスタンなのだ。私がこの国を訪れたのは、ほかでもなく古き良きイスラム文化圏の街並みを見たいと思ったからである。久保田早紀が歌う「異邦人」みたいな世界観を想定していただけに、がっくり来てしまったのである。

もっとも少し外れれば、市場や小道はエキゾチックな雰囲気を残していたが、メイン通りのインパクトでそれも霞んでしまったのだった。

 

ヒヴァに移動して、感じたことがあった。この街には、「イチャン・カラ」というエリアがあって城壁の中には古き良き街並みが残っている。

ネットで検索すればいくらでも画像など出てくるので画像は今回は割愛する。確かに美しい建築が残っていたり、「観光客が楽しいウズベキスタン」が残っていた。

だが、問題はその外に出てから、だった。

f:id:jimera:20201212135543j:plain

これは、城壁を出てすぐの景色だ。広大な空き地が広がっているが、これはもともとそうだったわけではなく、再開発のために取り壊したんだそうだ。

f:id:jimera:20201212135324j:plain

最近、ヒヴァには念願の鉄道駅が開業したそうで、上の写真はそことイチャン・カラの城壁との間ということになる。

おそらく、長い一本道にしたいんだろうということは明らかだった。

f:id:jimera:20201212140134j:plain

駅側から見て右側には新しいが「イスラム風」の建築が立ち並び、どことなく古き良き街並みの雰囲気は残そうとしているようだった。

 

「ここには新しいホテルが建つ予定なんだ!」

ヒヴァで出会い、その後一日の行動を共にした高校生たちは誇らしげに語った。「新しい駅も出来たし、街はもっと良くなる」と。

彼ら若者、それも住民からすれば新しい刺激を肯定することに疑いの余地はない。私は「よかったね」と笑い返すしかなかった。

 

一方で、ここまでの私の感情それ自体が「よそ者ならではのエゴなのでは」と思ったりもするのだ。

 

日本に置き換えて考えてみればわかる。例えば、京都は日本一の観光都市ということになるが、京都駅前や河原町なんかはどこの地方都市にもあるような陳腐な風景が広がっている。

それで良かったかはわからないものの、都市が都市である以上、ある程度のアップデートのようなものが必要なのは事実だろう。伝統的な景観を守り続けるにしても、そこには”暮らし”があるのである。

 

だが、戦後からの日本は「都市のデザイン」にまで思いが至らなかったのだと感じる。要は、都市の景観に「調和」という観点が弱いのだ。看板の色を薄くするとか、建物の高さ制限とかの次元ではなくて、だ。

その点、ヒヴァのように再開発でイスラム風の建物を新築していくことは評価できないこともない。しかしそれだってしょせんハリボテだ。

 

古き良き暮らしこそが正しいかといえば、そうではない。しかしそれらをリスペクトした都市設計と”暮らしのデザイン”自体の工夫もできるだろう。

 

ウズベキスタンも、きっと清潔で暮らしやすく観光もしやすい都市が増えるだろう。だが、それがハリボテではなくて、はたまた「よそ者」に最適化されたものではなくて、そしてどこにでもある陳腐な「都市」ではなくて、先人たちが積み重ねてきた「暮らし」を尊重した設計の都市開発であることを切に願う。