世界スキマ散歩

世界のどこかで

天理

2019年9月末

近鉄電車を乗り継ぎ天理駅に降り立った。天気が良く、9月末にしては少し汗ばむような気温だった。

駅の高架には「天理教 青年会総会」などといった横断幕が掲げられている。そう、それが”この街”なのだ。

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奈良県天理市は、その名の由来にもなっている、天理教の本部「おぢば」があることで有名だ。

私自身、天理教自体になじみがあるわけではない。知人に信者がいるわけでもないし、失礼ながら特別に関心がある、というわけでもなかった。

ただ、日本一の宗教都市に「行ってみたい」という思いだけが強くあったのである。

 

駅前からは「天理本通り商店街」という長いアーケードが「おぢば」の前まで続いている。街を知るには、商店街を見るのが一番わかりやすい。

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まず、歩いていると「神具店」が目に入る。天理教の儀式などで使用するのだろうか、見慣れないものも多い。

 

本屋も少し変わっている。道路にはみ出たスペースには、たいてい雑誌が置いてあるものだが、この街では天理教関連の書籍が置いてある。教典はもちろんだが、その教義を日々の中でいかに実現していくか、というところが中心のようだ。

 

ここで、公式サイトから「天理教の教え」を引用してみよう*1

親神・天理王命は、人間が互いにたすけ合う「陽気ぐらし」の姿を見て共に楽しみたいとの思いから、人間と自然界を創り、これまで絶え間なく守り育んできました。人間に体を貸し、果てしなく広く深い心で恵みを与え、「親」として温かく抱きしめ、教え導いています。

人間創造の目的である「陽気ぐらし」に近づく生き方を、教祖(おやさま)を通して教えられた私たちは、日々の生活の中で「陽気ぐらし」にふさわしい心になるよう、親神様から大きな期待がかけられているのです。それは、自己中心的な心遣いをやめて、他者の幸せを願い、たすけ合う心へと成長していくことです。

なるほど、人々が助け合うような「陽気ぐらし」が人間の存在意義であり、その実現を目指していくために努力していこうという教えだ。

 

商店街を歩いていると、そんな天理教の”実践”を感じることが多い。歩いているだけで挨拶されるのだ。「天理大学」と書かれている法被を着た人々が、何か準備をしている。その脇を通ると、「こんにちは~」と笑いかけてきた。

すれ違う人々にしてもそうである。アーケード商店街で法被を着た人とすれ違うと必ず挨拶をしてくれる。ヨレヨレのTシャツを着たよそ者に対しても、である。

 

これもきっと、その教義の実践の上なのだろうと知るのは、「おぢば」に到達してからのことだった。

 

おぢば」に着く前に、食事をしておこう。

天理の名物といえば、やはり「天理スタミナラーメン」だろう。商店街にある店舗に入る。f:id:jimera:20200919123809j:plain

まず目を引くのが赤いスープ。そしてその上に、豚肉たっぷりの野菜炒めが乗っており、文字通り「スタミナ」を感じさせる。ピリ辛ではあるが、辛すぎることはない。汗ばみながらもスープまで飲み干したくなるラーメンだった。

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信徒詰所。ここは、全国から参拝してくる信者の宿泊所になっているほか、勉強会なども開かれている。宿泊自体は、信者でなくとも可能なのだそう。

 

ところで、天理教では「天理に参拝すること」を「おぢばがえり」と呼ぶ。「がえり」というだけあって、「帰ってくる」というニュアンスが強い。

そのため、あちこちに「ようこそおかえり」という看板や横断幕がある。

天理教の「おぢばがえり」への熱意は強い。JRや近鉄も、祭りの際には各地から臨時列車を走らせているし、商店街にあるJTBですら「おぢばがえりのご相談を受け付けます」といった文言がある。

100万人ほどいるといわれる天理教信者が全国から集まるということは、信徒詰所もこれほどのキャパシティが必要だというのも納得できる。

 

ますます「おぢば」がどんなところかが気になってきた。

 

商店街のアーケードを抜けると、いよいよ天理教本部「おぢば」に到着だ。まずはその巨大な和風建築に驚かされる。

 

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信者以外でも入っていいのだろうか。受付で確認してみる。

「どうぞ~!もしよろしければ、人生相談などもあるのでご利用ください」とパンフレットも手渡してくれた。「立ち入り禁止」どころか歓迎ムードである。撮影は禁止だという。

 

おぢば」はいくつかの建物で構成されている。靴を脱ぎ、階段を上がる。

静かな空間では全国から集まった大勢の信者たちが、畳の上に座り、一方向を向いて祈りをささげている。

信者、といっても別に特殊な人々ではない。見た目だけでいえば、どこにでもいるような人たちが、家族連れだったり夫婦だったり、もしくは一人だったりで熱心に祈っているのだ。

おぢば」は木造の廊下が周りを囲んでおり、一周歩いてみた。

信者たちが「つとめ」として廊下の掃除に励んでいる光景を見かける。ここでもやはり、すれ違うたびに「こんにちは」と声を掛けられた。

 

一周し終える。この場所は静かながらも、居心地の悪さを感じることはなかった。

ここは、天理教にとって「核」となる場所。大切にはしているが、だからといって決して他者を威圧したり排除したりはしないのだ。

 

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こちらは天理大学の施設。「おぢば」とは大通りで結ばれている。

 

今回は、「日本一の宗教都市」に行ってみたいという好奇心からの訪問だった。失礼を承知で言えば、”異様な雰囲気”に圧倒されたり排他的な雰囲気があるものだと思っていたし、それゆえにこの「歓迎ムード」に拍子抜けしてしまった面もある。

もちろん、慣れない文化なのでこれらの光景に驚いたところはある。だが、初めて来たとは思えないような不思議な安心感を覚えたのだった。

 

これも、この街に住む信者の人々が「陽気ぐらし」という教義を実践しているからだろう。

日本人の多くは無宗教だという。だが、何かしらの信仰や哲学を持つことは、結局のところ人格の形成に欠かせないことだろうとは思った。もちろん、信仰の対象には「無神論」も該当する。

一人一人が自分の生き方やその指針を持つことの大切さを感じさせる一日だった。

この街が、この空気感のまま続いていくことを願うばかりだ。