世界スキマ散歩

世界のどこかで

景観と開発を考える ー”伝統”と”暮らし”の境目でー

ー古き良き街並みか、”暮らし”かー

 

ウズベキスタンに行ったときのことを思い出す。タシュケントサマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、と4都市を一週間で回る弾丸スケジュールだった。

ウズベキスタンは、中央アジアのほぼ中心部に位置する国だ。ユーラシア大陸を横断するシルクロードが貫き、イスラム文化を中心としながらも西洋と東洋の文化が交じり合う交易の中心地だった。また、かつてこの地を治めたティムールは領土を拡大させ、未だに彼を記念した像があるなど国家の英雄となっている。

中世イスラムの建築や街並みが残っている場所も多い。ウズベキスタンの観光資源の「コンテンツ」はそうしたイスラム建築やシルクロード関係のものがほとんどだ。

 

実際に降り立ってみると、市場ではスパイスの香りが漂い、モスクのミナレット(塔)からは礼拝の時間を知らせるアザーンの声が響き渡るなど、イメージしていた「ウズベキスタン」にいることを感じさせた。

 

だが、違和感を覚えたのはサマルカンドの街中を歩いていたときだ。

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西洋風の石畳に街灯。歩きやすいし、整ってはいる。だが、なんというか、まるで「ディ〇ニーランドに来ているのか」とでも思わせるような街並みで、イスラム建築がハリボテのように思えてしまう。

もちろん、ディズ〇ーランドを否定する気は全くない。

しかし、ここは中央アジアウズベキスタンなのだ。私がこの国を訪れたのは、ほかでもなく古き良きイスラム文化圏の街並みを見たいと思ったからである。久保田早紀が歌う「異邦人」みたいな世界観を想定していただけに、がっくり来てしまったのである。

もっとも少し外れれば、市場や小道はエキゾチックな雰囲気を残していたが、メイン通りのインパクトでそれも霞んでしまったのだった。

 

ヒヴァに移動して、感じたことがあった。この街には、「イチャン・カラ」というエリアがあって城壁の中には古き良き街並みが残っている。

ネットで検索すればいくらでも画像など出てくるので画像は今回は割愛する。確かに美しい建築が残っていたり、「観光客が楽しいウズベキスタン」が残っていた。

だが、問題はその外に出てから、だった。

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これは、城壁を出てすぐの景色だ。広大な空き地が広がっているが、これはもともとそうだったわけではなく、再開発のために取り壊したんだそうだ。

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最近、ヒヴァには念願の鉄道駅が開業したそうで、上の写真はそことイチャン・カラの城壁との間ということになる。

おそらく、長い一本道にしたいんだろうということは明らかだった。

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駅側から見て右側には新しいが「イスラム風」の建築が立ち並び、どことなく古き良き街並みの雰囲気は残そうとしているようだった。

 

「ここには新しいホテルが建つ予定なんだ!」

ヒヴァで出会い、その後一日の行動を共にした高校生たちは誇らしげに語った。「新しい駅も出来たし、街はもっと良くなる」と。

彼ら若者、それも住民からすれば新しい刺激を肯定することに疑いの余地はない。私は「よかったね」と笑い返すしかなかった。

 

一方で、ここまでの私の感情それ自体が「よそ者ならではのエゴなのでは」と思ったりもするのだ。

 

日本に置き換えて考えてみればわかる。例えば、京都は日本一の観光都市ということになるが、京都駅前や河原町なんかはどこの地方都市にもあるような陳腐な風景が広がっている。

それで良かったかはわからないものの、都市が都市である以上、ある程度のアップデートのようなものが必要なのは事実だろう。伝統的な景観を守り続けるにしても、そこには”暮らし”があるのである。

 

だが、戦後からの日本は「都市のデザイン」にまで思いが至らなかったのだと感じる。要は、都市の景観に「調和」という観点が弱いのだ。看板の色を薄くするとか、建物の高さ制限とかの次元ではなくて、だ。

その点、ヒヴァのように再開発でイスラム風の建物を新築していくことは評価できないこともない。しかしそれだってしょせんハリボテだ。

 

古き良き暮らしこそが正しいかといえば、そうではない。しかしそれらをリスペクトした都市設計と”暮らしのデザイン”自体の工夫もできるだろう。

 

ウズベキスタンも、きっと清潔で暮らしやすく観光もしやすい都市が増えるだろう。だが、それがハリボテではなくて、はたまた「よそ者」に最適化されたものではなくて、そしてどこにでもある陳腐な「都市」ではなくて、先人たちが積み重ねてきた「暮らし」を尊重した設計の都市開発であることを切に願う。

天理

2019年9月末

近鉄電車を乗り継ぎ天理駅に降り立った。天気が良く、9月末にしては少し汗ばむような気温だった。

駅の高架には「天理教 青年会総会」などといった横断幕が掲げられている。そう、それが”この街”なのだ。

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奈良県天理市は、その名の由来にもなっている、天理教の本部「おぢば」があることで有名だ。

私自身、天理教自体になじみがあるわけではない。知人に信者がいるわけでもないし、失礼ながら特別に関心がある、というわけでもなかった。

ただ、日本一の宗教都市に「行ってみたい」という思いだけが強くあったのである。

 

駅前からは「天理本通り商店街」という長いアーケードが「おぢば」の前まで続いている。街を知るには、商店街を見るのが一番わかりやすい。

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まず、歩いていると「神具店」が目に入る。天理教の儀式などで使用するのだろうか、見慣れないものも多い。

 

本屋も少し変わっている。道路にはみ出たスペースには、たいてい雑誌が置いてあるものだが、この街では天理教関連の書籍が置いてある。教典はもちろんだが、その教義を日々の中でいかに実現していくか、というところが中心のようだ。

 

ここで、公式サイトから「天理教の教え」を引用してみよう*1

親神・天理王命は、人間が互いにたすけ合う「陽気ぐらし」の姿を見て共に楽しみたいとの思いから、人間と自然界を創り、これまで絶え間なく守り育んできました。人間に体を貸し、果てしなく広く深い心で恵みを与え、「親」として温かく抱きしめ、教え導いています。

人間創造の目的である「陽気ぐらし」に近づく生き方を、教祖(おやさま)を通して教えられた私たちは、日々の生活の中で「陽気ぐらし」にふさわしい心になるよう、親神様から大きな期待がかけられているのです。それは、自己中心的な心遣いをやめて、他者の幸せを願い、たすけ合う心へと成長していくことです。

なるほど、人々が助け合うような「陽気ぐらし」が人間の存在意義であり、その実現を目指していくために努力していこうという教えだ。

 

商店街を歩いていると、そんな天理教の”実践”を感じることが多い。歩いているだけで挨拶されるのだ。「天理大学」と書かれている法被を着た人々が、何か準備をしている。その脇を通ると、「こんにちは~」と笑いかけてきた。

すれ違う人々にしてもそうである。アーケード商店街で法被を着た人とすれ違うと必ず挨拶をしてくれる。ヨレヨレのTシャツを着たよそ者に対しても、である。

 

これもきっと、その教義の実践の上なのだろうと知るのは、「おぢば」に到達してからのことだった。

 

おぢば」に着く前に、食事をしておこう。

天理の名物といえば、やはり「天理スタミナラーメン」だろう。商店街にある店舗に入る。f:id:jimera:20200919123809j:plain

まず目を引くのが赤いスープ。そしてその上に、豚肉たっぷりの野菜炒めが乗っており、文字通り「スタミナ」を感じさせる。ピリ辛ではあるが、辛すぎることはない。汗ばみながらもスープまで飲み干したくなるラーメンだった。

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信徒詰所。ここは、全国から参拝してくる信者の宿泊所になっているほか、勉強会なども開かれている。宿泊自体は、信者でなくとも可能なのだそう。

 

ところで、天理教では「天理に参拝すること」を「おぢばがえり」と呼ぶ。「がえり」というだけあって、「帰ってくる」というニュアンスが強い。

そのため、あちこちに「ようこそおかえり」という看板や横断幕がある。

天理教の「おぢばがえり」への熱意は強い。JRや近鉄も、祭りの際には各地から臨時列車を走らせているし、商店街にあるJTBですら「おぢばがえりのご相談を受け付けます」といった文言がある。

100万人ほどいるといわれる天理教信者が全国から集まるということは、信徒詰所もこれほどのキャパシティが必要だというのも納得できる。

 

ますます「おぢば」がどんなところかが気になってきた。

 

商店街のアーケードを抜けると、いよいよ天理教本部「おぢば」に到着だ。まずはその巨大な和風建築に驚かされる。

 

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信者以外でも入っていいのだろうか。受付で確認してみる。

「どうぞ~!もしよろしければ、人生相談などもあるのでご利用ください」とパンフレットも手渡してくれた。「立ち入り禁止」どころか歓迎ムードである。撮影は禁止だという。

 

おぢば」はいくつかの建物で構成されている。靴を脱ぎ、階段を上がる。

静かな空間では全国から集まった大勢の信者たちが、畳の上に座り、一方向を向いて祈りをささげている。

信者、といっても別に特殊な人々ではない。見た目だけでいえば、どこにでもいるような人たちが、家族連れだったり夫婦だったり、もしくは一人だったりで熱心に祈っているのだ。

おぢば」は木造の廊下が周りを囲んでおり、一周歩いてみた。

信者たちが「つとめ」として廊下の掃除に励んでいる光景を見かける。ここでもやはり、すれ違うたびに「こんにちは」と声を掛けられた。

 

一周し終える。この場所は静かながらも、居心地の悪さを感じることはなかった。

ここは、天理教にとって「核」となる場所。大切にはしているが、だからといって決して他者を威圧したり排除したりはしないのだ。

 

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こちらは天理大学の施設。「おぢば」とは大通りで結ばれている。

 

今回は、「日本一の宗教都市」に行ってみたいという好奇心からの訪問だった。失礼を承知で言えば、”異様な雰囲気”に圧倒されたり排他的な雰囲気があるものだと思っていたし、それゆえにこの「歓迎ムード」に拍子抜けしてしまった面もある。

もちろん、慣れない文化なのでこれらの光景に驚いたところはある。だが、初めて来たとは思えないような不思議な安心感を覚えたのだった。

 

これも、この街に住む信者の人々が「陽気ぐらし」という教義を実践しているからだろう。

日本人の多くは無宗教だという。だが、何かしらの信仰や哲学を持つことは、結局のところ人格の形成に欠かせないことだろうとは思った。もちろん、信仰の対象には「無神論」も該当する。

一人一人が自分の生き方やその指針を持つことの大切さを感じさせる一日だった。

この街が、この空気感のまま続いていくことを願うばかりだ。

ミヤシタパーク

渋谷駅東口の北側に宮下公園という区立公園がある。いや、厳密にいえば「あった」だろうか。

JRの線路と明治通りに沿って存在するその場所は、7月に「ミヤシタパーク」なる施設へと生まれ変わった。公園と商業施設を一体化させたもので、渋谷区と三井不動産のPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)事業の一つとなっている。

 

渋谷駅東口といえば、2010年代以降は渋谷ヒカリエの開業や東急東横線渋谷駅の地下化、渋谷ストリームの開業など再開発が進行している地域だ。この「ミヤシタパーク」もその一環なのだろう。

 

宮下公園は、渋谷では数少ない「緑」のある場所として親しまれてきた。

木々が生い茂り、少し薄暗かったその場所はスケボー少年のたまり場になっていたり、ホームレスが生活していたり、いわゆる「治安の悪い場所」だった。

 

そんな場所が、このほど綺麗に生まれ変わったのである。さぞ素晴らしい場所なのだろう。実際に行ってみて、いかに素晴らしいのかを見てくることにした。

 

渋谷駅は絶賛工事中なので、行くたびに地下道の出口がわからなくなる。

田園都市線を降りてB2の階段を上り、ビックカメラの脇を通るとミヤシタパークは現れる。地上3階のショッピングセンターの屋上に「公園」がついた巨大な建物だ。

 

まずは「公園」に、エスカレーターを使って行ってみる。

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カマボコ型の、屋根とも言えない柱が並ぶ。都会の小さな空をいかに大きく見せるかに苦心したことが窺える。もっとも、左右にビルが立ち並んでおり、スポーツクラブの屋上にあるフットサル場のようなサイズ感ではあるが。

 

「有料」で借りることのできるビーチバレー場があるほか、スターバックスの店舗もありオシャレ感を演出している。

人々は芝生の上で寝転がったり、談笑したりしている。やはり、かつての宮下公園との違いはこうしたところだろう。

あの薄暗い宮下公園では見受けられなかった光景だ。

 

それでは、階下のショッピングセンターに行ってみよう。

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2階と3階は「ショッピングセンター」になっている。PRADAやCOACH、GUCCILouis Vuittonといったブランドの看板が目立つ。そのほか、カフェや雑貨屋、レコードショップなど幅広く揃っている。

人々は狭く薄暗い通路を行き交い、ときどき”密”になりながらも、各々ショッピングを楽しんでいるようだった。

 

私が特に気になったのは、書店だ。

ショッピングセンターなのだから、書店の一つぐらいあって当然だと思っていたが、そこはきちんと押さえているようだった。問題なのは中身だ。

「よそとは違う」とでも言いたげな品揃えとなっており、写真集が中心であるほかホリ〇モンの自己啓発本やビジネス本が充実。専門書や学術書はおろか、新書や小説も置かないという徹底ぶりで、その「新しさ」に驚いてしまった。

最近流行りの本屋とカフェが融合した店舗で、むしろカフェの要素のほうが大きかった。その点を総合すると、自己啓発本の類で十分である理由もなんとなく理解できた。

 

通路は、内部に一本と外階段の2つだ。感想としては、いまいち移動しやすい動線ではないということだ。お客同士が”密”状態になってしまうのも致し方ないだろう。

 

さて、1階に降りてみよう。

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1階は「渋谷横丁」なるレストラン街になっている。

北海道から沖縄、さらには韓国の料理が楽しめる施設となっている。お酒も楽しめるようで、人々はコロナ禍であるという事実をものともせず会食を楽しんでいた。

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表通りだけでなく内部にも「横丁」スタイルで店が並ぶ。

 

さて、渋谷の魅力の一つには「多様性」がある。いろんな立場や考え方の人々を包摂するのが渋谷という街だし、渋谷区はLGBTパートナーシップ条例もいち早く導入した。

そして、宮下公園でたむろしていたスケボー少年も、生活していたホームレスも、その「多様性」の一つだ。彼らがいたことも、この街の居心地の良さだった。

 だが、どうもミヤシタパークのいう「多様性」には「例外」があるようだ。

 

施設にはこんな張り紙がしてあり、その数の異様さに圧倒される。

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一見すると、「迷惑をかけるのはやめましょう」という普通の注意書きに見える。

だが、宮下公園では長らく、行政によるホームレスの排除が行われてきたという歴史があり、それを知っていれば、そんなに単純な話でないことは明らかだ。

 

この流れはジェントリフィケーション(都市の富裕化)という現象で説明できそうだ。もともと渋谷は、サブカルチャーの聖地の一つだった。こんなことを言っては申し訳ないのだが、決して富裕ではなく「道徳的に優れている」わけでもないような人々が、この街の文化を作ってきたし、それがある時代を作ったこともある。

そんな街に、資本が入るとあっという間に”整う”。美しく衛生的な街になるだろう。

 

だが、そこに生きる、一般的に「美しく」もなければ「衛生的」でもないとされる人たちはどうなるだろうか。

その答えはすでに出ている。排除されるのだ。

 

それも「区立」と名のある公的施設である公園から、市民の一人であるホームレスが排除される異常事態が起こっているのだ。それも、「ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包摂)」をうたっている渋谷区で、だ。

 

ここでミヤシタパーク公式ホームページの「コンセプト」を引用する。*1

卵とキャラメルが出会って、プリンが生まれた。
出会いって、愛。組み合わせって、未来かも。
公園の下に、ハイブランド
ハイブランドの横に、飲み屋横丁。
ホテルも珈琲屋もレコードショップもギャラリーも、
混ざってくっついたらどうなるんだろう。
ごちゃっと自由に、ここは公園のASHITA。
その全部があたらしくなった、MIYASHITA PARK。
さあ開業、開園です。
ニンゲンも風も花も鳥も、どうぞいらしてください。

そもそもが不可解な文章なのだが…。

ミヤシタパークが言う「ごちゃっと自由に」「ニンゲンも...どうぞいらしてください」には、結局のところホームレスをはじめとする「見たくないもの」という”例外”があるのだ。

 

コンセプトについてさらに言及する。

渋谷は確かに、「カオス」さが”売り”の街だ。それこそが「多様性」だったりするわけだ。

だが、実際にミヤシタパークを訪れた感想としては、「とりあえず詰め込みました」感が滲み出ていた。つまり、商業施設としては、むしろ”普通のショッピングモール”とあまり変わりなく、目新しさという点でもいまいちなのである。

同じように公園的な施設と商業施設が融合している東京ミッドタウンなどは、土地柄もあるだろうが施設として洗練されており、どこか落ち着く雰囲気がある。

一方のミヤシタ・パークはただ「詰め込んだだけ」なのだ。コンセプトの文章から何も感じ取れないのと同様に、施設そのものも中途半端だった。

 

申し訳ないが、客層もそれなりという感じだった。

ギャル文化などは、渋谷に集まる一人一人が「表現者」として文化を作ってきた。スケボー少年たちだって自身で技を磨くなどしていただろう。

彼らはある意味で、「枠からはみ出した」人々だった。そうした人たちが渋谷を構成してきた。

そんな街で、上から「枠」を設け、その「上からの多様性」からはみ出した人間を排除しようという試みこそが、ミヤシタパークのこの有様というわけだ。

 

もちろん、防災や衛生といった要素は都市づくりでも必要になっていくだろう。だが、少なくとも、それがホームレスという一市民を行政が排除する理由にはならない。

 

そして何より、渋谷という街を本当に”理解”していたのなら、宮下公園がどこにでもあるショッピングモールになるなんてことはなかったのではないか、と感じるのである。